偉人・敗北からの教訓
ドキュメンタリー/教養
偉人・敗北からの教訓 第129回「シリーズ合戦④鳥羽・伏見の戦い 旧幕府の失敗」
明治の夜明けを導いた戊辰戦争の緒戦、鳥羽・伏見の戦いの真相を紐解く。旧幕府軍は新政府軍の3倍もの軍勢を擁しながら、なぜ、わずか数日で敗北を喫してしまったのか?
2月28日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン
鳥羽・伏見の戦いにおける旧幕府軍の敗北から現代に通じる教訓を探る。1867年、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行うが、慶喜は新政権でも実権を握ろうと考えていた。それを危惧した倒幕派の公家・岩倉具視は薩摩の大久保利通らと共に王政復古のクーデターを決行し、慶喜を新政権から排除する。そんな中、江戸で浪士たちが放火や略奪などを重ねると、これに激怒した旧幕府勢は江戸の薩摩藩邸を襲撃し、炎上させた。
慶喜が薩摩への宣戦布告書「討薩の表」を先遣隊に持たせ、京都に向かわせると、鳥羽で戦闘が勃発、程なくして、伏見でも激戦が展開された。兵力に勝る旧幕府軍は淀城を本陣とし、会津藩士や新撰組の面々が果敢に戦うも、ずるずると後退。軍勢が大坂城に引き返すと、慶喜は一同を奮い立たせるが、その後、慶喜は城を抜け出し、江戸に帰ってしまった。旧幕府軍はなぜ、大軍を擁しながら、勝利を掴むことができなかったのか?
慶喜が退去した後、城兵たちも続々と撤退し、大坂城は新政府軍に接収されてしまう。その後、会津藩、桑名藩を中心とする旧幕府軍が新政府軍に激しく徹底し、戊辰戦争は一年半にわたって続いた。戦いを制した新政府は驚異的なスピードで改革を進め、近代国家の基盤を整えていった。もし、旧幕府軍が鳥羽・伏見の戦いを制していたら、その後の展開は異なっていたに違いない。旧幕府軍は一体、何を過ったのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
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