偉人・敗北からの教訓

ドキュメンタリー/教養

偉人・敗北からの教訓 第122回「仙石秀久・九州大敗からの奇跡の大名復活劇」

天下人・豊臣秀吉の最古参の家臣、仙石秀久の敗北を紐解く。屈服させた長宗我部氏ら四国勢を率い、九州に渡るが、島津氏との戦いで大敗を喫してしまった理由とは?

1月10日 土曜 21:00 -21:55 BS11イレブン

偉人・敗北からの教訓 第122回「仙石秀久・九州大敗からの奇跡の大名復活劇」

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えた仙石秀久の敗北から現代に通じる教訓を探る。1552年、美濃の国衆で斎藤氏に従っていた仙石久盛の四男として生まれた秀久は12歳頃に家督を継ぐと、織田方に寝返り、配下の秀吉に従い、各地を転戦、姉川の戦い、中国攻めなどで武功を挙げる。信長没後の賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦いでは敵対する四国の長宗我部元親を抑える役目を任され、見事に務めた。
1583年、淡路5万石の大名に、1585年、四国平定に貢献し、讃岐10万石の大大名となった秀久は1586年、豊後の大友氏を救援すべく、屈服させた長宗我部氏ら四国勢を率い、北九州に渡る。戸次川の対岸にいる島津軍が寡兵と見た秀久は秀吉の命令を無視して出撃するも、大敗を喫し、逃走。その結果、改易に処され、高野山での蟄居を余儀なくされてしまう。秀久はなぜ、島津軍との戦いに踏み切り、敗れてしまったのか?
1590年、秀吉が天下統一の総仕上げとなる小田原攻めに乗り出すと、秀久は勝手に戦場に駆け付け、家康の取り成しを受け、豊臣軍の一員として武功を挙げる。これにより、信濃国小諸5万石を拝領し、見事、大名への復帰を果たす。秀吉没後、家康に与した秀久は関ヶ原の戦いの後、小諸藩の初代藩主となり、城下町や街道の整備などに力を尽くし、63歳で生涯を終えた。山あり谷ありの人生を送った秀久の魅力はどこにあるのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。

過去の放送をTVerで視聴